「涙が枯れた」という表現を、目にしたり耳にしたことはある。
実際に涙が枯れることはないし、「それだけ悲しかった」「それだけ泣いた」っていう比喩だと僕は理解してた。
だが、どうやら「涙は枯れる」ようです。
個人的な感想、意見、推測のみなので、何の確証もございません(笑)
経緯
後で見返した時に、恥ずかしくて嫌になることは承知の上で、ここでも色々書いてきました。
その時に何を考えてたかを忘れないように、文字にすることで少しでも客観的に自分自身を見るという目的もありましたし。
なので今回は簡単に。
彼女に振られる
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3日間は全く実感がわかず、元に戻る方法を含め色々考えるも、もう元に戻れないことを徐々に理解し始める。
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4日目の朝に号泣。
これは少しマズいと思い、できるだけ感情に流されないよう客観的にこれからどうすべきかなど、とにかく考えられることは考えた。
考えて一応の答えを出す⇒納得して落ち着く⇒目覚めると号泣。
これが7日間続く。
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8日目にピタッと止まる。
まさかこんなに取り乱すとは予想もしてなかった。
多少は引きずることは覚悟していたけど、これほどとは‥‥
「このまま行くとどうなるんやろ?」と不安に思ってた矢先に、ピタッと止んだ。
始めは、頭の中で納得していたことに、感情の方がやっと追いついたんだと思ってた。
でも、それにしては徐々に薄れていったわけではなく、突然なのはおかしい。
そんなに簡単に割り切れるものだとも思えない。
考えないようにしていた訳でもないし、考える時間が減った訳でもない。
ただ、それまでなら号泣していたようなことを考えていても、悲しいどころか何の感情もわかない。
「もう会うことも声を聞くことも出来へんねんな。」
「彼女の中は好きな人のことで一杯で、もう俺のことは忘れてしまってるやろな。」
「職場が同じみたいやからいつも一緒やな」
「手を繋ぐのが好きだったけど、今はその人と・・・」
そういう考えや情景が浮かんでも、何も感じない。
どこか他人事のようにすら感じる。
彼女に対する想いが変わったわけでもないのに、何故が悲しくない。
泣かなくなってから少しして、彼女との色々な出来事が全て自分の空想、夢の中での出来事だったような感覚になっていることに気付いた。
結論・理由
『涙が枯れる』という表現はあながち間違いではない。
回りくどい言い方ですいません。
もちろん物理的には涙は枯れてません。
あくびしたら涙出ましたし(笑)
色々試してみた結果、感動や喜びの涙も枯れてないようです。
悲しみで流す涙だけが枯れたみたいです。
その理由としては、「このままでは危険だ」という脳の判断なのではないかと。
そしてその危険の原因である事象にフィルターをかけ、彼女との全てを夢のように感じさせ、特に「悲しみ」という感情には厳重に蓋をしてしまったのだと。
夢のように感じている自分自身を認識した今でさえも、彼女との全てが夢のように感じているところがあります。
彼女とのことだけでなく、それに近い感情を抱くもの全てに対して感情がシャットアウトされてる感じがします。
そしてそれを意識している今でも、それは変わりません。
「時間が解決してくれるなんて悠長なことは言ってられない」「とにかく日々何か一つでもプラスの結果を」ともがき続けたが故の現象ではないかと。
最初にも言いましたが、何の確証もありません。
被験者は僕だけなもんで(笑)
(補足)
悲劇のヒロインを気取って悲しみに暮れたり、何もかも人のせいにして恨んだり憎んだりしてれば、涙が枯れることはないと思います。
そしてそのほうが、きっと楽だと思います。
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